しののめ通信【第3回】
子どもへの眼差し
大石英史
皆さん、こんにちは。
しののめフリースクール支援員の大石です。今回は支援員としての日々の活動の中で感じていることを書いてみました。
近年、不登校への理解も少しずつ広がり、2016年には不登校の子どもたちが必要に応じて休養を取ることや多様な学びができる民間の居場所を提供することを保障する法律(教育機会確保法)が公布、施行されました。しかし、私が不登校支援を始めた40年近く前から何も変わっていないことがあります。それは不登校が問題の対象であり続けてきたことです。時代の流れの中で社会は大きく変わってきているにもかかわらず、学校に通えない子どもは依然として問題であり、何らかの支援が必要な子として位置づけられてきたことです。
不登校を問題として捉えるのは、一見当たり前のことのように思われますが、その前提となっている考え方は、変わるべきは学校に通えない子どもの方であり、その子に何が足りないのかに目を向け、その部分を改善することが支援だということになります。しかし、子どもが本当に必要としていることは、自分を問題のある子として扱われることなのでしょうか?
以前、奄美大島でいろんな人の相談を受けているユタさんを訪問した際、昔、奄美では人の気持ちがわかる繊細で傷つきやすい子どもことを「神の子」と呼んで、周囲の大人たちが大切にしていたという話を聞いたことがあります。
しののめに通ってくる子どもたちと関わっていると、ひとりひとり強い個性を持っていることが見えてきます。その個性ゆえに学校に行けなくなったのではないかと思うこともありますが、その個性を改善すべき問題としてではなく、ひとまずその子の持ち味として、その子らしさ、あるいは微笑ましいものとして受けとめていくと、子どもはこれまで見せなかった本音を聞かせてくれるようになります。支援員同士で、「今日、○○さんは、こんなこと言ってたよ。なるほど、面白いね」そんな会話を重ねる中で、子どもたちはますます素の自分を表現してくれるようになるのです。
自分のことを理解し、認めてくれる大人の眼差しのもとで、子どもは安心して自分を出せるようになり、その中で周囲の者から見て気になる部分やその子なりの課題も見えてきます。その課題を私たちは、その子の発達ニーズとして捉え、支援はそこからスタートすると考えています。
私はこれまで長いことスクールカウンセラーとして不登校支援に携わってきましたが、学校復帰を目指す関わりには限界があり、そもそも週3〜4時間程度しか学校にいない状況ではできることは限られています。いつか痒いところに手が届く支援をしてみたい。その思いは募るばかりでした。
学校に行きづらい子どもたちにとって、このしののめフリースクールが安心して素の自分を出せる場所であるとともに、自分の課題と向き合う場所になることを願いつつ、今日、通ってくる子どもたちがどんな面白い姿を見せてくれるか、支援員たちはいつも楽しみにしています。